春の香りの正体「沈丁花」
貴方は春の香り、と聞いてどんなものを思い浮かべますか。古くから親しまれ、和歌でもよく詠まれた梅の花、日本を代表する花であるサクラなど、人によってそれぞれかもしれませんが、最も香りが強く、遠くまで届く春の花として「沈丁花」(ジンチョウゲ)が挙げられます。沈丁花は夏のクチナシ、秋のキンモクセイと合わせて「三大香木」として知られており、その上品な甘さと爽やかさを兼ね備えた香りは春の訪れを感じさせるものとして、多くの人に親しまれています。
しかし、春の香りをまとった化粧品が数多くある中で、沈丁花の香りをうたった製品は香水が僅かにある程度で、普段見かける機会はあまりないように思われます。また、香水についてもラベンダーやゼラニウムのように沈丁花そのものの精油が用いられることはなく、他の香料を使って香りを「再現した」ものばかりです。庭木としても見かけるほどお馴染みの存在である沈丁花ですが、どんな香り成分が含まれているのでしょうか。そして、化粧品の香りとしてはどうして採用されないのでしょうか。
「沈丁花」の香りの正体とは?
沈丁花の香りは120種類以上の成分から構成されていますが、最も有名な成分としてはリナロールが挙げられます。リナロールはネロリやラベンダー、ベルガモットなどに多く含まれている成分で、モノテルペンアルコールに分類されます。その香りはどこか柑橘類を思わせるような甘く爽やかなもので、副交感神経に作用するため心をリラックスさせてくれます。また、お茶やワインの香り成分としても知られており、私達の毎日をより満ち足りたものとさせてくれます。
また、沈丁花にはシトロネロールやゲラニオールといったバラの香りの主成分であるカーネーションやゼラニウムの甘い香りの主成分であるフェネチルアルコールなどが含まれており、バラやカーネーションなどに先立って、花の季節の訪れを感じさせてくれます。これだけだとやや甘く単調な香りになってしまいそうですが、沈丁花には草や葉の匂いの主成分で、青々しさを感じさせるシス-3-ヘキサノール、通称青葉アルデヒドも含まれており、より爽やかな印象を私達に与えます。
「沈丁花」が化粧品に使われない理由とは?
このように、とても心地よい香りで知られている沈丁花ですが、実は怖い一面も持ち合わせています。実は沈丁花の葉や花、種や樹皮には芳香族ジテルペンの一種であるダフネトキシン(クマリン誘導体)やメゼレインが含まれており、強い毒性を持つことで知られています。触ってしまうとこれらの成分が皮膚から吸収され、細胞内に存在するプロテインキナーゼCと呼ばれる部位を活性化することによって皮膚炎を引き起こし、かゆみや水ぶくれの原因となります。また、うっかり口にしてしまうと下痢や嘔吐、重度の場合は腎臓や心臓に障害を引き起こす原因となってしまいます。
毒性のある植物由来の成分であっても化粧品に使われているものは数多くあります。例えばモモの葉や種にはアミグダリンと呼ばれる青酸配糖体が含まれており、体内で猛毒の青酸に変化し、中毒を引き起こすことが知られていますが、モモの実には含まれておらず、また、葉や種に含まれているものは抽出の過程で十分に取り除くことが可能です。また、リナロールには若干の毒性がありますが、微量では問題がないため、化粧品成分として利用することができます。
しかし、沈丁花の場合、毒性のある成分であるダフネトキシンやメゼレインが香り成分と似たような構造を持っており、それらを抽出して取り除こうとすると香り成分まで除去されてしまうため、香料としての役割を果たさなくなってしまいます。そのため、沈丁花そのものから抽出した成分を利用した化粧品は現在では(ジンチョウゲカルスエキスが使われているごく僅かなものを除いて)ほぼ存在しません。
沈丁花の「香水」とは?どう楽しめばいいの?
そのような理由で化粧品とはほぼ無縁の存在の沈丁花ですが、最近では「沈丁花の香り」をうたったフレグランスが販売されています。このような製品はリナロールやシトロネロール、シス-3-ヘキサノール、あるいはそれらを主成分とした精油などをブレンドして調香することにより、沈丁花を思わせるような甘く、爽やかな香りを再現しているものと思われます。沈丁花自体のイメージがやや地味で、香木としてもキンモクセイほどの知名度がないためか、販売されているアイテム数はごく僅かですが、どうしても香りを楽しんでみたい、という方は購入してみると良いでしょう。
香水などのフレグランス製品は遠い世界の「良い香り」をとても身近なものにしてくれました。ラベンダーやゼラニウム、ベルガモットにユーカリといった香りは日本ではあまり馴染みないものでしたが、化粧品のお陰で今ではすっかり定番となりました。一方、沈丁花の香りは化粧品をわざわざ買わなくても、春を象徴する香りとして、日々の生活の中で感じることができるものです。香水が中々売っていない、と落ち込むのではなく、外に出かけて匂いを感じてみたり、庭先に植えてみたりなど、実際の花の香りを楽しんでみてはいかがでしょうか。香りにはそれぞれの楽しみ方があるのです。